うつつの夢に触れる掌(笠黄)



枕元でスマホのアラームが鳴っている。それに顔をしかめてもぞもぞと寝返りを打ちながら布団の中から伸ばした右手で喧しいアラームを止めた。
プツリと途端に静かになった空間に、しかめていた顔を緩めて、うっすらと瞼を持ち上げる。
外は曇っているのか室内は薄暗く、見慣れた室内の景色がくらりと揺れた。

「う…、だるい……」

スマホから離した手を己の額に押し当て、口から溢れた熱っぽい息に、あぁこれはダメだなと鈍い頭でぼんやりと思って、再度手探りで枕元に置いてあるスマホに手を伸ばした。





***





「おーす。…って、あれ?今日、黄瀬は?」

部室に入ってくるなり不思議そうに声を掛けてきた相手を、笠松はロッカーに制服を突っ込みながら振り返って答える。

「黄瀬は休みだ。調子が悪いから部活は休むって朝、メールが来た」

「ふぅん。なんか黄瀬がいないと違和感あるなー」

最近は笠松と黄瀬が部室にいるのが当たり前になってたからかな、と首を傾げて自分のロッカーの前に立った森山に笠松はロッカーの扉を閉めて、それよりもと会話を続けた。

「お前ら何で揃いも揃って俺に黄瀬のこと聞いてくるんだ?」

「は?」

「えっ?」

笠松の発言に森山のみならず黙々と着替えていた小堀、早川、中村、その他の部員達までもすっとんきょうな声を上げて、それからまじまじと笠松を見詰めた。

「な、何だよ?」

いきなり四方八方から集まった視線に笠松は居心地悪くたじろく。

「それ、本気で言ってるのかお前」

その視線の中で代表して森山が口を開いた。森山の指すそれがどれのことだか分かってはいるが、指摘される意味が分からず笠松は森山に聞き返す。

「だから、何が」

「はぁー…。なにお前、あれ全部無意識なの?いつも黄瀬のこと気にかけてるじゃん。この前女子生徒に呼び出されたのだってそのせ…」

「えっ、笠松先輩呼び出さぇたんですか!?」

「あぁ、まぁ…。でも別に黄瀬のせいじゃねぇから黄瀬には言うなよ。アイツもあれで色々苦労してるみたいだからな」

ざわりとざわついた部員達を見回し、笠松は釘を刺すように静かに告げる。
するとすかさず森山が横から口を挟んできた。

「だからそれが黄瀬を気にかけてるって言うの。ったく、…笠松は黄瀬に甘過ぎる!」

「まぁまぁ。でも、部活の時は厳しいぐらいだし、バランスがとれていいんじゃないか」

森山を宥める小堀の言葉に部員達も確かに、と部活中の黄瀬を容赦なくシバく笠松の姿を脳裏に思い浮かべた。これで部活中も笠松が黄瀬を贔屓していたら今頃海常バスケ部内では暴動が起きていただろう。

「そんなわけで、笠松先輩は黄瀬のこと気にかけてるみたいですし、黄瀬とも良く一緒にいるので何かあれば黄瀬は笠松先輩に連絡するんじゃないかと思いまして」

「黄瀬は笠松先輩によくなついてぅっすから!」

だから真っ先に笠松に黄瀬のことを聞いたのだと、森山が脱線させた話を中村が元に戻して早川も同意するように頷いて言った。

「それにさ、笠松は頼れるキャプテンだろ」

最後にそう言って纏めた小堀に、周りを見れば他の部員達もうんうんと頷いて、笠松への返事としていた。

「…俺、そんなに黄瀬に構ってたか」

ふむと部員達の意見を飲み込むように笠松は頷く。だがそれをどうにかしようとは思わなかった。部活に差し障りがあるようならば多少は考えたかも知れないが、部員の意見を聞く限りそれはないらしいし。部活以外では基本的に笠松は周りからどう思われ、何を言われようともこれからも黄瀬のことに関しては接し方もなにも変えるつもりは欠片もない。
意識、無意識に関わらずそれだけの覚悟は、黄瀬のファンである女子達を相手にした時から既に出来ている。

なので、笠松は黄瀬に甘いと森山に言われようとも一時限目の授業が終わった後、移動教室のついでに一年生の教室を覗きに行った。その前にスマホに連絡を入れたが返事がなかったのだ。まぁ、どちらがついでかは笠松に同行した小堀の苦笑した顔を見れば直ぐに分かるというものだが、生憎とからかってくる森山は別のクラスなので笠松は平和に一年生の教室に辿り着くことが出来た。

一年のフロアは最上級生の来訪にざわめいていたが、笠松は構わず目的の教室に着くと中を覗いて、すぐ近くにいたバスケ部員の一人を呼んだ。

「紺野、ちょっといいか?」

笠松に呼ばれた紺野 智之(こんの ともゆき)は、突然の主将の来訪に驚いたが、今朝の部室での出来事を思い出して直ぐに用件に思い当たって笠松の待つ廊下へと出る。そしてそこにもう一人先輩がいることに気付いて慌てて軽く頭を下げた。小堀はそれに自分のことは気にしなくていいと言うように胸の前で軽く手を振り返す。

「あの、もしかして黄瀬のことですか?」

紺野の身長は男子高校生の平均を少し越えたところで、笠松を僅かに見上げる形となる。心当たりを口にすれば、やはりビンゴだったらしく笠松が頷いた。

「部活を休むってメールは貰ったけど、学校は来てんのか?」

少し覗いた教室の中にあの派手な黄色の頭は見つからなかった。ならば席を外してるのかと思い聞いてみれば、紺野は僅かに顔を曇らせた。

「それが一限目になっても登校してないんですよ。一応、一限目の先生には体調不良だって言っておきました。けど、メールしても返事ないし…」

アイツ確か今一人暮らししてるとか言ってたし、と心配そうに紺野が呟くのに笠松も眉間にしわを寄せた。

「そうか。来てないのか」

そしてどうやら学校にも休むという連絡は来ていないようだ。
笠松は教室の中にある時計に視線を走らせ、紺野へと視線を戻す。

「黄瀬のことは俺が確認しておくから、担任が来たら黄瀬は今日は体調不良で休みだって伝えておいてくれないか」

「はい、分かりました」

心配そうな顔をしていた紺野は笠松の言葉に、キャプテンが黄瀬の様子を確認してくれるなら大丈夫だなと安堵の表情を浮かべて頷いた。

「じゃぁ頼むな。時間とらせて悪かった」

「いえ、黄瀬のことお願いします」

おう、と返して笠松は小堀と共に一年の教室から離れる。
黄瀬にもきちんと黄瀬自身を思ってくれる友人が紺野を筆頭に複数人見受けられた。廊下で紺野と話している最中に心配げな視線がちらちらとこちらに向けられていた。主に視線の元はバスケ部の面々のようだったが。それとは逆に女子生徒達は黄瀬の名前が出たことに好奇心で聞き耳を立てていた。
女子に人気で男子からは嫌われる傾向にあるという黄瀬の分析は半分外れか。それともバスケ部の馴染んだ面子だからか。どうあれ黄瀬が一年の中でも肩の力を抜いていられる場所があるならそれに越したことはない。

階段に差し掛かり笠松は足を止める。同じように隣で足を止めた小堀に目を向ければ、小堀は分かっているというような穏やかな眼差しで笠松を見返してきた。

「黄瀬のとこ行くんだろ?」

「あぁ。アイツ一人暮らしだし、学校にも連絡してねぇとか気になるだろ」

それになにより自分が一番黄瀬のことを心配している。

「悪いけど…」

「いいよ。後は任せて」

黄瀬が心配なのは俺も一緒だからと小堀は笠松の言葉を遮って背中を押した。

「悪い。また後で連絡する」

「うん」

笠松は小堀の言葉に甘えることにして 階段に足をかける。一度自分の教室に鞄を取りに戻り、それから学校を抜け、黄瀬が一人暮らしをしているマンションへと足早に向う。

黄瀬から部屋の暗証番号と合鍵となるスペアのカードキーを貰っといて良かったと、初めて黄瀬の部屋に訪れた時に手渡されたカードキーをマンションのエントランスに設置されている機械に翳しながら思う。
あの時は、スペアなんて俺にやって良いのか?と困惑したが、黄瀬にゆきちゃんならいつ来ても大歓迎だから持ってて欲しいっス!とお願いされて、黄瀬に甘い笠松が結局そのお願いに折れたのだった。

「…ったく、なんでお前は肝心な時に甘えて来ねぇんだよ」

一人、具合を悪くして寝込んでいるのだろう年下の幼馴染みを想って笠松はエレベータのボタンを強く押した。





***





ひんやりとした冷たさを額に感じて朧気ながら意識が浮上する。
ベッドの真横に何か気配を感じて、うっすらと持ち上げた瞼の下でそちらに目を向ければ、ぼんやりとした視界に写る白と青。

「ん…?起こしちまったか?」

するとその気配はふわりと動いて、薄く開いた視界が遮られる。温かくて少しかさついた掌。上から静かな声が落ちてくる。

「熱があるんだ、まだ寝てろ」

声量の絞られた密やかな声が優しく鼓膜を揺らし、ぼんやりとしていた意識を再び眠りに誘う。
なんでとか、どうしてとか、考える前に唇が動く。

「…ゆき、ちゃん…?」

「どうした涼太?」

どこか痛むか?それとも苦しいのか?と続いた優しい声に。間違えようのない声に、手探りで相手のシャツの裾を掴んだ。

「…どこにもいっちゃいやっすよ」

「何処にもいかねぇよ。俺はここにいる」

うとうとと遠ざかる意識の中で、優しい温もりに触れた心がほろほろと綻びる。普段は心の中にしまわれている言葉達が夢うつつの世界でぼろぼろと零れる。

「ほんとに?」

「本当だ」

「ずっと…?」

「あぁ、ずっとお前の側にいる。だから今はゆっくり寝てろ」

「うん…、ゆき…ちゃん」

「なんだ?」

「だい…」

すぅっと寝入る直前、震えた唇はとても大切そうに二文字の言葉を紡いだ。
再び静まり返った部屋にすぅすぅと寝息が零れる。目元を覆っていた掌をそっと離して、汗で湿った黄色い髪を流すようにさらりと撫でる。熱で僅かに赤く色付いた頬に掌を滑らせ、先程よりは和らいだ表情で眠る黄瀬に笠松も頬を緩める。

「俺も…好きだぞ、涼太」

ゆるりと甘く薄墨色の双眸を細め、囁くように返事を返す。頬に滑らせた手を離し、シャツの裾を握ったままの黄瀬の手をゆっくりとシャツから外させる。笠松はベッドの端に腰をかけ、シャツから外した黄瀬の手を包み込むように握り、暫く側でそのあどけない寝顔を眺めていた。



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